薬局アリーナ 柴田和宏代表(訪問薬局:岡崎市・安城市・常滑市) 最終更新日:2025/06/10

注目の在宅医療機関へのインタビュー取材「PICK UP!在宅医療機関」の第19回目は岡崎市・安城市・常滑市にて薬局を計4店舗を運営されている薬局アリーナ 柴田和宏代表取締役/薬剤師です。これまでの薬剤師や経営者としての歩み、そして、これからの在宅医療に向ける思いを熱く語っていただきました。
柴田和宏薬剤師の歩み
— ご出身と薬剤師を目指されたきっかけからお聞かせください。
私は名古屋市熱田区、熱田神宮のすぐ近くで育ちました。大学を卒業するまで名古屋で暮らし、社会人になってからも会社を設立するまでは、ほとんどを地元で過ごしました。
薬剤師を目指したのは、特別に医療への強い憧れがあったからではありません。高校では化学が得意だった一方で物理が苦手で、「化学で受験できる学部」として薬学部を選んだのがきっかけです。
臨床検査技師と迷ったのですが、最終的には薬剤師の道を選びました。

— 大学で4年間学ばれる中で、薬剤師への思いは固まっていったのでしょうか?
4年生の夏の模試で学年10位以内に入り、少し油断していましたね(笑)。大学2年からは病院内の薬局でアルバイトを続けており、卒業後もそのまま「うちに就職しないか」と声をかけてもらったため、就職活動もあまりしていませんでした。
国家試験の1ヶ月前にはヨーロッパ旅行に出かけたりしましたが、なんとか合格。こうして1989年、薬剤師としてのキャリアが始まりました。
— 病院薬剤師時代のキャリアを教えてください。
最初の勤務先は500床規模の大病院でした。アルバイト経験があったことから、1年目で「もう教えることはない」と言われ、2年目からは病棟業務を担当しました。当時は、薬剤師の病棟業務がまだ十分に評価されていない時代で、診療報酬も低く、役割の理解も今ほど浸透していませんでした。
配属された腎病棟では、血液透析に加え、白血病など多様な症例に触れ、特にCAPD(連続携行式腹膜透析)には導入初期から関わりました。CAPDでは、感染対策や服薬指導、薬剤準備、手技指導など、看護師と連携しながら幅広く対応し、多くを学びました。
この病院にはアルバイト時代を含め約6年間勤務し、患者さんに寄り添う医療の姿勢をしっかりと身につけることができました。長く関わる中で、将来は独立も視野に入れたいという思いが芽生え、「病院の外」にある経験や視点も必要なのではと感じるようになり、より広いフィールドに挑戦する決意を固めました。
— 病院を退職後、様々な職場経験でスキルや学びを得たと思います。そのエピソードをお話しください。
最初は検査試薬・研究用試薬 メーカーに転職し、学術と営業を兼任しました。当時、薬剤師の進路といえば病院や製薬会社が主流でしたが、私は営業経験ゼロで飛び込みました。この時期に、経費処理やビジネスマナーなど、経営者として必要な基礎を学ぶことができました。
1995年に調剤薬局へ入職し、管理薬剤師として勤務しました。自由度の高い環境で経験を積む中で、より専門性の高い医療への関与を求めるようになり、店舗異動も経験しました。現場の医師や経営陣との関係のなかで、改めて自分の価値観や働き方を見つめ直すことになりました。
その後も複数の薬局で勤務し、薬剤師としての倫理観や品質管理への意識を高め、急成長する組織の中で変化に対応する柔軟性を培いました。そうして、自分がより直接的に貢献できる規模の職場を志向するようになり、働く環境の在り方について深く考えるようになりました。

有限会社アリーナ設立
— 有限会社アリーナは、ゼロから立ち上げられたのでしょうか?
はい、ゼロからのスタートでしたが、知人に「自分でやりたいって言ってたよね?」と声をかけてもらい、「コスモス薬局」を展開していた方を紹介されたのがきっかけです。法人としては別(有限会社アリーナ)ですが、いわゆる“のれん分け”のような形で、「コスモス薬局」としてスタートしました。

— 起業への決意の背景には何があったのでしょうか?
今後の進路を考えていた時期に、ちょうど声をかけてもらい、「じゃあ、やってみようか」とそれほど深く考えずに流れに乗った形でスタートしました。ただ、「自分でやるなら本気で」という気持ちは強く、開業資金も少しずつ準備していたので、銀行からの融資は受けずに始めることができました。
最初の店舗は賃貸物件で、初期費用は運転資金だけで済みました。当時、私は37歳、「まあ、なんとかなるだろう」と前向きな気持ちでのスタートでした(笑)。
— 開業当初の状況はいかがでしたか?
最初のスタートは本当に順調でした。2003年4月に1号店をオープンし、初年度(9月決算)はごくわずかの赤字でしたが、翌年からはしっかり黒字に転じました。
— 経営者としての気負いのようなものはありましたか?
正直なところ、「社長になった」という実感はあまりありません。感覚としてはサラリーマン時代の延長で、給料をもらう立場から支払う側に変わっただけ。やっていることも、管理薬剤師の頃と大きくは変わっておらず、管理の対象が店舗から会社全体に広がっただけという感じです。
現在は店舗数が4つに増えました。今後も拡大の可能性はありますが、無理に増やすつもりはありません。過去の経験から、急拡大には必ず歪みが生じることを学びました。良いご縁やタイミングがあれば、自然な流れで進めていきたいと考えています。
「思いやり」を元に訪問薬局へ邁進
— 次に、御社が力を入れていらっしゃる訪問薬局についてお伺いします。
私自身が薬剤師として在宅に関わり始めたのは、1998年頃からです。患者さんのご自宅に薬をお届けする、ということを当時からやっていました。アリーナとして本格的に取り組み始めたのは、今から13〜14年前、2010年か2012年頃からですね。
我が社の理念は「思いやり」です。「薬を通して国民の健康を守る」という考え方があり、在宅医療をやらないという選択肢はありませんでした。薬剤師として当然の業務だと考えています。昔は薬剤師というと薬を出すだけ、特にパートさんは調剤だけすればいいという風潮がありましたが、今は服薬指導も当たり前。ならば、薬剤師が患者さんの元へ足を運ぶのも自然な流れでしょう。
病院では医師、看護師、検査技師など多職種が連携して患者さんをみますよね。そのイメージを地域に置き換えて、地域における薬局の役割を、病院における薬剤部に近い存在として捉え、クリニックや訪問看護と連携しながらチーム医療に貢献したいと考えています。そういう連携が地域でも当たり前になるだろうと、ずっと思っていました。
本気で取り組むなら365日24時間対応が必要になりますが、それを一つの会社だけで完結するのは非常に困難です。ですから、他の医療機関や介護事業所との連携を見ながら、少しずつ体制を整えてきました。今ではコスモ薬局多屋店やコスモス薬局荒曽根店で地域のケアマネジャーや包括支援センターと連携し、日々多くの相談を受けながら、地域に根差した在宅対応を心がけています。
現在の体制は、4店舗で5名の薬剤師が訪問業務に携わっています。患者さんの数は月によって変動しますが、荒曽根店が一番多く、個人宅と施設を合わせると月に延べ140~150人くらいでしょうか。

— 訪問を継続していく上で、大切にされていることは何でしょうか。
私が大切にしているのは、「自分ができないことを無理にやろうとしない」という姿勢です。365日24時間の対応体制を目指し、他の医療機関とも連携しながら体制を整えていますが、夜間や休日の対応は他のスタッフや連携先との協力があってこそ成り立つものです。湿布1枚のような緊急性の低い依頼には、状況を見て翌日対応をお願いすることもあります。
在宅業務は非常にやりがいがありますが、時として自己満足に陥ることもあります。その間にも外来対応をしてくれているスタッフがいることを忘れず、「職員同士の思いやり」を大切にするよう常に伝えています。仕事は自分一人で成り立っているわけではない、という意識を持つことが大事です。
また、設立当初から「会社組織としての運営」を重視してきました。特定の店舗や個人の感覚に左右されるのではなく、会社全体としてのルール、たとえば年次有給休暇の取得方法やクレーム対応方針を明確にしています。
訪問薬局の未来と地域への誓い
— 「訪問薬局」の課題や悩みについて教えていただけますでしょうか。
訪問薬局に限らず、薬剤師にとって大きな課題の一つは、「医師の指示がなければ動けない」という構造的な制約です。患者さんのもとへ訪問するにも、医師の指示が前提であり、この仕組みからは逃れられません。
また、会社として労働基準法を守りながら、365日24時間対応体制を維持していくのも大きな課題です。
とはいえ、これらは我々だけで解決できる問題ではありません。医療資源の配置や役割分担について、国の医療政策、特に厚生労働省の方針に大きく左右される部分もあります。例えば将来的には、中学校区に1カ所程度の拠点薬局を設け、そこに在宅や夜間・休日対応を集約していくといった動きも考えられます。
そうした国の大きな流れを的確に読み取りながら、中小の薬局としてどう役割を果たし、どう生き残っていくのかを、常に意識していくことが求められていると感じています。
— 「訪問薬局」の理想像についてお聞かせください。
目指しているのは、地域の方々に心から信頼される薬局であること、そして薬剤師一人ひとりが患者さんと同じ目線で向き合える存在であることです。
実は私、「薬局」という言葉があまり好きではありません。というのも、退院後の薬局選びが「〇〇薬局へ」ではなく、「あの薬剤師さんがいるから、あそこへ行こう」となるのが本来の姿だと思っているからです。
薬剤師一人ひとりが強いアイデンティティを持ち、患者さんから「あなたにお願いしたい」と言われるような存在になること。そのような“ファン”を持つ薬剤師が集まる薬局をつくることが、私の理想です。

— その「ファン作り」のために、心がけていらっしゃることはありますか?
大切なのは、特別なことをするのではなく、「当たり前のことを、当たり前にきちんとやる」ことだと考えています。以前、後輩の薬剤師たちにも伝えていたのは、「目の前の患者さんが、自分にとってたった一人の大切な家族だったら、どんな情報提供をしますか?」ということでした。
その気持ちで患者さんに向き合えば、「この人は本当に自分を大切に思ってくれている」と感じてもらえ、自然と信頼関係が築かれていきます。
患者さんに寄り添い、信頼していただけるような薬剤師を目指し、日々丁寧な対応に努めています。
結局のところ、「あなたのことを一番に考えています」という気持ちが伝わるかどうか。それが、人の心を開き、信頼を得る最大の鍵です。一人ひとりの患者さんと真摯に向き合い続けること。その積み重ねこそが、信頼と“ファン”を生むのだと思います。
— 最後に地域住民の方々へ、メッセージをお願いいたします。
そうですね…。シンプルに申し上げますと、「地域に頼れる薬局を目指します」。そして、「地域の方々に、心から信用していただける薬局を目指します」。これに尽きますね。…これが私の率直な気持ちです。
地域の皆様に安心してご利用いただける薬局を目指し、誠実に取り組んでまいります。健康やお薬のことなど、お気軽にご相談ください。

薬局アリーナ

〒446-0072
愛知県安城市住吉町5丁目15番1
愛知県安城市住吉町5丁目15番1
コスモス薬局住吉店 愛知県安城市住吉町5丁目15番1
コスモス薬局荒曽根店 愛知県安城市住吉町荒曽根157番地5
コスモス薬局多屋店 愛知県常滑市錦町4-501
コスモス薬局中町店 愛知県岡崎市中町5-1-12
コスモス薬局荒曽根店 愛知県安城市住吉町荒曽根157番地5
コスモス薬局多屋店 愛知県常滑市錦町4-501
コスモス薬局中町店 愛知県岡崎市中町5-1-12
柴田和宏代表のプロフィール
経歴:
1989年 名城大学薬学部 卒業
1989年 協立総合病院 薬局勤務 外来薬剤師
1990年 腎病棟薬剤師
1992年 トーレ・フジバイオニクス 学術・営業
1995年 有限会社ライフ 豊臣調剤薬局 管理薬剤師
1998年 有限会社ライフ 中川調剤薬局 管理薬剤師
1999年 有限会社大幸堂薬局 大幸堂薬局 古知野店 管理薬剤師
2000年 有限会社ハローメディカル ハロー薬局 如意店 勤務薬剤師
2000年 有限会社ハローメディカル ハロー薬局 春日井店 勤務薬剤師
2001年 有限会社ハローメディカル ハロー薬局 北里店 管理薬剤師
2002年 六輪病院 病棟薬剤師
2003年 有限会社アリーナ 代表取締役
1989年 名城大学薬学部 卒業
1989年 協立総合病院 薬局勤務 外来薬剤師
1990年 腎病棟薬剤師
1992年 トーレ・フジバイオニクス 学術・営業
1995年 有限会社ライフ 豊臣調剤薬局 管理薬剤師
1998年 有限会社ライフ 中川調剤薬局 管理薬剤師
1999年 有限会社大幸堂薬局 大幸堂薬局 古知野店 管理薬剤師
2000年 有限会社ハローメディカル ハロー薬局 如意店 勤務薬剤師
2000年 有限会社ハローメディカル ハロー薬局 春日井店 勤務薬剤師
2001年 有限会社ハローメディカル ハロー薬局 北里店 管理薬剤師
2002年 六輪病院 病棟薬剤師
2003年 有限会社アリーナ 代表取締役
関連リンク: