大都会の中の医療の谷間「山谷」で、朝日を灯す在宅医療|あさひ在宅クリニック 院長・川﨑英司 最終更新日:2026/01/29

東京・台東区と荒川区にまたがる「山谷」。高度経済成長期の労働者の街として栄えたこの地域は、時代とともに高齢化が進み、医療につながれず孤立する人々の姿が今も散見されます。そんな大都会の“医療の谷間”で在宅医療に挑む「あさひ在宅クリニック」院長・川﨑英司氏の歩みと信念に迫ります。川﨑氏が医師を志した背景、精神科診療と在宅の接点、そして患者一人ひとりの人生に寄り添う診療哲学。地域に根ざし、誰一人取り残さない医療を追求する姿勢を通じて、在宅医療が地域にもたらす希望と課題を描き出します。
就職氷河期の中で選んだ医学部への道
— ご出身はどちらですか?
神奈川県出身です。横浜で生まれ育ち、8歳のときに藤沢市に引越し、大学進学まで湘南の海が身近にある環境の中で育ちました。
母は精神保健福祉士として、父は心理カウンセラーとして人の心に寄り添う仕事に就いており、幼い頃から「困っている人を支える」「心に寄り添う」という価値観がごく自然に身近にありました。
直接的に医師を志すきっかけになったわけではありませんが、幼い頃から心のケアに携わる両親に影響を受け、人の人生や苦しみに向き合う気持ちが知らず知らずのうちに育まれたのだと思います。

— 医師を目指したきっかけを教えてください。
医学部を本格的に意識し始めたのは2003年、高校2年生の頃で、ちょうど就職氷河期の真っただ中だったため、社会全体に将来への不安が漂っており、進路を考えるたびに「自分はこの先どう生きていくのだろう」と悩む日々が続いていました。
「医師になりたい」という強い使命感が最初からあったわけではなく、「自分の学力を活かせて、かつ将来が安定している職業は何か」と現実的に考えた結果、医学部が選択肢として浮かび上がってきました。
当初は地元の横浜市立大学医学部を第一志望に、国公立大学への進学を考えていました。私立大学の医学部は学費の負担が大きく、家庭の経済状況を考えると現実的な選択とは言い難い状況でした。
そんな折、卒業後に出身都道府県が指定する医療機関で9年間勤務することを条件に学費が全額免除される大学があると高校の先生から教えてもらい、自治医科大学の存在を知りました。「これなら家庭に負担をかけずに医師になれる」と強く心を動かされ、受験することにしました。
1年の浪人生活を経て、2006年に無事に自治医科大学に合格することができました。
「医療の谷間」に火を灯したいと思った原点
— 自治医大ではどのような学生生活を過ごされたのですか?
自治医大での6年間は、部活動よりも学園祭の運営に力を注いでいました。学園祭には毎年自主企画や実行委員として関わり、仲間と議論を重ねながら一つのイベントを作り上げていく経験がとても刺激的でした。
6年間でいろいろな企画を実施しましたが、特に印象に残っているのは6年生のときに出した大阪の西成にあるホルモン屋台を再現した模擬店です。
実は大学5年生の頃から何度も大阪の西成へ足を運んでおり、そこで出会った人々の生きざまや独特の食文化に強く心を揺さぶられ、「この空気を伝えたい、再現したい」と感じて、学園祭の模擬店を出すことにしたのですが、味や雰囲気にこだわって準備したところ、想像以上の反響をいただきました。
今思えば、この頃に肌で感じた西成の街のエネルギーや、人と人が支え合いながら生きる姿こそが、現在の台東区・山谷での訪問診療や在宅医療に向き合う原点になったのだと思います。

— 自治医科大学はどのような校風の大学でしたか?
自治医科大学は、全国47都道府県それぞれから毎年2〜3名ずつ入学者が選抜され、卒業後は出身都道府県に戻り、各地の地域医療・僻地医療を担う医師を育てることを目的とした大学です。
自治医科大学には
「医療の谷間に火をともす」
という建学の精神があります。
その理念のもとに集まった医学生たちは、卒業後、それぞれの出身地に戻り、一定期間を離島や山間部などの僻地での医療を担うことが義務付けられています。
「医療の谷間に火をともす」
という建学の精神があります。
その理念のもとに集まった医学生たちは、卒業後、それぞれの出身地に戻り、一定期間を離島や山間部などの僻地での医療を担うことが義務付けられています。
しかし、私の出身地である神奈川県には、離島や、奥深い山間の集落といった、いわゆる僻地と呼ばれる地域が存在しません。
そのため、神奈川県出身者は、比較的都市部の病院や、場合によっては保健所など行政のポジションを担うこともあります。
そのため、神奈川県出身者は、比較的都市部の病院や、場合によっては保健所など行政のポジションを担うこともあります。
過酷な僻地勤務に行かなくてよいという現実に、正直なところ安堵もありました。一方で、他県出身の同級生たちが「医療の谷間」に向かっていくことを意識する中で、自分だけがその場所に立てないような感覚を、学生時代から感じていました。
「自分も、医療の谷間で役に立ちたい。」
その思いだけが、明確な行き先を持たないまま、心の中に居座り続けていました。
大都会の中に存在した「医療の谷間」
— 川﨑先生が医師としての役割を発揮できる場所を見つけたのはいつ頃なのですか?
そんな学生時代に、今の私の医療につながる大きな転機となる出来事がありました。
大学5年生のとき、公衆衛生学の実習で大阪の保健所を訪れ、その一環として、西成あいりん地区を見学することになったのです。
大学5年生のとき、公衆衛生学の実習で大阪の保健所を訪れ、その一環として、西成あいりん地区を見学することになったのです。
地域の人たちは、この街を親しみを込めて「釜ヶ崎」と呼んでいます。
釜ヶ崎は、高度経済成長期に日雇い労働者が多く集まり、「ドヤ」と呼ばれる簡易宿泊所で生活する人たちによって形成されてきた、いわゆるドヤ街です。
釜ヶ崎は、高度経済成長期に日雇い労働者が多く集まり、「ドヤ」と呼ばれる簡易宿泊所で生活する人たちによって形成されてきた、いわゆるドヤ街です。
労働者の街として栄えた時代を経て、今では高齢化が進み、仕事や住まいを失い、路上での生活を余儀なくされている人の姿も珍しくありません。
釜ヶ崎は、日本の中で最も結核罹患率が高い地域として知られています。公衆衛生学の実習では、実際に結核患者さんを多数目にする機会がありました。
そこでは、医療がすぐ近くに存在しているにもかかわらず、住まいや生活の不安定さ、社会的な孤立によって、医療につながり続けること自体が難しい人たちが少なくありませんでした。
私はその街を、単なる知識としてではなく、医療と生活が切り離されている「現実」として目の当たりにしました。
大都会・大阪のど真ん中に、これまで自分が想像していた「僻地」とはまったく違う形の「医療の谷間」が存在していることに、強い衝撃を受けました。
大都会・大阪のど真ん中に、これまで自分が想像していた「僻地」とはまったく違う形の「医療の谷間」が存在していることに、強い衝撃を受けました。

— 「医療の谷間」に出会う大きな転機が訪れたわけですね。
それ以来、学生時代から初期研修医時代にかけて、私は時間をみつけては夜行バスに乗って、何度も釜ヶ崎に通うようになりました。
現地で活動する学生ボランティアとつながり、炊き出しや夜回り、夏祭りや越冬闘争といった活動にも参加しました。
現地で活動する学生ボランティアとつながり、炊き出しや夜回り、夏祭りや越冬闘争といった活動にも参加しました。
炊き出しとは、単に食事を提供する場であるだけでなく、社会から切り離されて孤立している人が、食べ物を介して再び社会とつながり直すための入口でもありました。
夜回りでは、路上で生活する人に声をかけ、体調を確認し、必要に応じて支援につなげました。
冬の越冬闘争とは、年末年始に行政の窓口が閉まり、公的な支援が一時的に届かなくなる時期に、厳しい寒さの中で路上生活を余儀なくされる人たちを、誰も取り残さないために行われている取り組みです。
また同じ頃、東京の山谷や、横浜の寿町といった、いわゆる日本三大ドヤ街と呼ばれる地域にも足を運んでいました。そこに共通していたのは、「僻地」という言葉では説明できない、都市の中に埋もれるように存在する「医療の谷間」でした。
私は次第に、医療の谷間とは、地理的な問題だけではなく、生活の背景によって医療につながり続けることが難しくなる中で生まれるものではないかと考えるようになっていきました。

在宅医療を志す中で、避けて通れなかった精神科診療
— 大学卒業後はどのような場所で働かれたのでしょうか?
2012年に大学を卒業し、地元の神奈川県の病院で医師としてのキャリアをスタートしました。
後期研修では泌尿器科を専攻し、泌尿器科専門医を取得。
後期研修の4年間は神奈川県の保健所にも所属し、主に結核などの感染症対策業務に従事しました。
後期研修の4年間は神奈川県の保健所にも所属し、主に結核などの感染症対策業務に従事しました。
その後、真鶴町国保診療所で所長として3年間勤務しました。
地域の診療所では、専門領域にとらわれない総合的な診療能力が求められます。内科も外科も、大人も子どもも、急性期から慢性疾患まで、すべてを診る。
その中で在宅医療にも関わるようになり、患者さんの生活そのものに向き合う医療に、強いやりがいを感じるようになりました。
その中で在宅医療にも関わるようになり、患者さんの生活そのものに向き合う医療に、強いやりがいを感じるようになりました。
この経験から、
「将来は在宅医療を軸にしたクリニックを作りたい」
そう考えるようになりました。
「将来は在宅医療を軸にしたクリニックを作りたい」
そう考えるようになりました。

— 医師として働く中で、葛藤や悩みを抱える場面はありましたか?
一方で、当時の私が最も苦手としていたのが精神科の診療でした。
これは決して特別なことではなく、身体科を専門にしてきた医師の多くが感じる壁でもあります。
これは決して特別なことではなく、身体科を専門にしてきた医師の多くが感じる壁でもあります。
精神科領域の診療には、明確な検査所見が出にくいこと、症状と生活背景や人生史が密接に絡み合っていること、「正解」が一つではなく、時間をかけて関係性を築く必要があることといった難しさがあります。身体の病気のように、数値や画像で説明できない領域に、医師としての不安や戸惑いを感じていました。
しかし、在宅医療では、病気だけでなく、その人がどんな生活を送り、どんな背景を抱えて生きてきたのかが、診療の前提になります。この先私自身が在宅医療に向き合うためには、精神的な問題を切り離して医療を行うことは現実的ではなく、この苦手分野を避けたままではいけないと感じるようになりました。
そのため、在宅医療を自分の軸に据える前に、精神科診療をきちんと学び直す必要があると考えました。
2021年に自治医科大学の義務年限を終了した後、東京の精神科の在宅医療に特化したクリニックで勤務することとなり、神奈川県から東京都に転居しました。そのクリニックでは、身体と精神、病気と生活を切り分けて考えることができない患者さんを、日常的に診る必要がありました。
ここでの経験を経て、それまで苦手意識のあった精神科の診療にも向き合えるようになり、在宅医療を自分の軸として開業をする手応えを得ることができました。

なぜ、「山谷」を選んだのか
— クリニックを開業する際、立地はどのように選んだのでしょうか?
必要な準備が一通り整った段階で、次に考えることになったのが、どこで開業するのか、ということでした。
そう考えたとき、私の中で自然と浮かび上がってきたのが「山谷」という場所でした。
そう考えたとき、私の中で自然と浮かび上がってきたのが「山谷」という場所でした。
山谷は、東京都の台東区と荒川区にまたがる地域で、釜ヶ崎と同じく、かつては日雇い労働者の街として知られてきた、いわゆる日本三大ドヤ街の一つです。
労働者向けの簡易宿泊所が多く立ち並び、高度経済成長期には建設現場などで働く人たちの拠点でしたが、時代の変化とともに仕事が減り、現在では高齢化が進んでいます。
労働者向けの簡易宿泊所が多く立ち並び、高度経済成長期には建設現場などで働く人たちの拠点でしたが、時代の変化とともに仕事が減り、現在では高齢化が進んでいます。

家族とのつながりを失い、社会的に孤立したまま年を重ねてきた方も少なくありません。かつてに比べれば人数は減ったものの、今もなお、路上生活を余儀なくされている方がいます。
高齢化により、身体的な理由から在宅医療を必要とする人が多くいますが、それだけではありません。
統合失調症やうつ病、アルコール依存、薬物依存など、精神科医療を必要とする人も少なくありません。
統合失調症やうつ病、アルコール依存、薬物依存など、精神科医療を必要とする人も少なくありません。
また、釜ヶ崎同様に、衛生状態などの原因により、結核の罹患率が高い地域でもあります。
身体疾患と精神疾患が併存し、生活背景や社会的な孤立が複雑に絡み合う。
そうした患者さんが、この街には多く暮らしています。
そうした患者さんが、この街には多く暮らしています。

— 「医師として医療の谷間で役に立ちたい」という思いを実現できる場所を見つけられたということですね。
これまで私は、地域の診療所で専門領域にとらわれない総合的な診療や、患者さんの生活に寄り添う在宅医療を実践してきました。
また、かつて苦手としていた精神科診療とも正面から向き合い、在宅医療で必要とされる形で学び直しました。
また、かつて苦手としていた精神科診療とも正面から向き合い、在宅医療で必要とされる形で学び直しました。
さらに保健所で結核などの感染症対策に深く関わってきた経験や、学生時代からドヤ街でのボランティア活動に参加し、医療の外側にある問題にも関わってきた経験があります。
これまでの人生で、自分の中に積み上がってきた能力や経験を重ね合わせたとき、それが最も必要とされている場所が、山谷でした。
東京という医療資源に恵まれた都市の中で、それでもなお医療からこぼれ落ちてしまう人たちに、在宅医療という形で関わっていく。
私が火を灯したい「医療の谷間」は、ここしかない、という感覚でした。
東京という医療資源に恵まれた都市の中で、それでもなお医療からこぼれ落ちてしまう人たちに、在宅医療という形で関わっていく。
私が火を灯したい「医療の谷間」は、ここしかない、という感覚でした。
こうして私は、東京・山谷で在宅医療を始めることを決めました。

「あさひ在宅クリニック」という名前に込めた意味
— 「あさひ在宅クリニック」の名前の由来を教えてください。
クリニックの名前を考えたときも、
私は山谷という街から発想を始めました。
私は山谷という街から発想を始めました。
山谷は、どうしても暗い、ネガティブなイメージで語られがちな街です。
だからこそ、あえて真逆の、明るくて温かいイメージの名前にしたいと考えました。
だからこそ、あえて真逆の、明るくて温かいイメージの名前にしたいと考えました。
そこで思い浮かんだのが、「あさひ」でした。
ありふれた言葉かもしれませんが、明るくて、温かくて、優しいイメージがある。素直にいい言葉だと思いました。
ありふれた言葉かもしれませんが、明るくて、温かくて、優しいイメージがある。素直にいい言葉だと思いました。
朝日は、誰かを選んで昇るものではありません。
どんな人にも、どんな街にも、必ず平等に訪れ、
その人や街を明るく照らしてくれます。
どんな人にも、どんな街にも、必ず平等に訪れ、
その人や街を明るく照らしてくれます。
そのイメージが、私がやりたい在宅医療と重なりました。
私も、誰かを選ぶことなく、どんな人にも、どんな場所にも、平等に訪問する。
そして、病気だけでなく、その人の人生や、その人が生きている街ごと、少しでも明るくできる医療でありたい。
そして、病気だけでなく、その人の人生や、その人が生きている街ごと、少しでも明るくできる医療でありたい。
そんな思いを込めて、
「あさひ在宅クリニック」という名前をつけました。
「あさひ在宅クリニック」という名前をつけました。
その後、開業する物件が決まったんですが、初めて現地を見たとき、目の前の通りが「アサヒ商店街」という名前だと知りました。
後付けの理由ではありますが、この街で医療をやることを選んだ自分にとって、偶然とは思えないものを感じる出来事でした。
後付けの理由ではありますが、この街で医療をやることを選んだ自分にとって、偶然とは思えないものを感じる出来事でした。

コロナ禍の山谷で直面した、孤立する人々の切実な声
— 山谷であさひ在宅クリニックを開業後、どのような患者さんを診察したのですか?
あさひ在宅クリニックを台東区の山谷に開業した2022年は、まだ社会全体が新型コロナウイルスへの対応に追われていた時期と重なりました。
山谷には「ドヤ」と呼ばれる簡易宿泊所で暮らす独居の方が非常に多くいらっしゃいましたが、当時は発熱や体調不良があっても、地域の発熱外来へ自力で受診できない方が少なくありませんでした。
とくに身寄りがなく、携帯電話も持っていないために自分から助けを求める手段そのものがない方が想像以上に多く、医療につながれないまま孤立している現実を目の当たりにしました。
そのような状況のなかで、地域の訪問看護ステーションや宿泊所の管理人さんから「宿泊者の体調が悪いので診てほしい」と切実な往診依頼が次々と寄せられ、居室へ足を運ぶ日々が続きました。
「どこへ行けばいいのかわからない」「誰に頼ればいいのかわからない」と不安を抱えたまま孤立している人々のもとへ直接赴く訪問診療こそが、当時の山谷で最も必要とされていた支援でした。
— 山谷での在宅医療で驚いたことや困惑したことはありますか?
山谷で訪問診療を続けるなかで最も大きな衝撃を受けたのは、無保険の方が想像以上に多いという現実でした。
コロナ禍では、路上生活を余儀なくされている方や、それに近い困窮状態にある方から、「保険証は持っていないけれど、どうしても診てほしい」という切実な声が何度も寄せられました。
制度上は無保険の場合は自費診療になりますが、生活そのものが成り立っていない方に医療費を請求することは現実的ではありませんし、何より目の前で苦しんでいる人を見過ごすことはできませんでした。
そのため、コロナ禍という緊迫した状況と、山谷という特殊な地域の社会的背景を考慮し、そのときは例外的な対応として、診察や検査の費用を請求せず、実質的に無償で医療を提供しました。
この経験は、「医療は誰のためにあるのか」という根本的な問いを私に突きつけるものであり、あさひ在宅クリニックの診療姿勢の土台となりました。

— 山谷での経験を踏まえて、どのような信念を大切にしながら在宅医療に取り組んでいるのでしょうか。
私が山谷で訪問診療を行ううえで最も大切にしているのは、たとえ他院で断られた患者さんであっても、決して拒まずに受け入れるという姿勢です。
この地域には、「もし自分が手を離してしまったら、この人は本当にどこにも行き場がなくなってしまう」と感じざるを得ない患者さんが一定数いらっしゃいます。
病状の複雑さだけでなく、生活環境や人間関係、これまでの生きてきた背景、さらには本人の気質などが絡み合い、一般のクリニックでは対応が難しいと判断されてしまうケースであっても、あさひ在宅クリニックでは最後まで向き合うことを選んできました。
この地域で、誰一人として取り残されない医療を実現し続けることが、私の医師として、そしてあさひ在宅クリニックとしての使命だと考えています。
高度医療を担う大病院が「地域医療の最後の砦」と呼ばれるように、あさひ在宅クリニックも地域住民の暮らしを守る「在宅医療の最後の砦」でありたいと思っています。
— 川﨑先生は「台東医介塾(たいとういかいじゅく)」の塾長も務められていますが、どのような思いで始められたのでしょうか。
診療の現場だけにとどまらず、地域全体の医療と介護を底上げしていくために、私が力を入れている活動のひとつが2025年10月から始まった「台東医介塾」というコミュニティです。
ここでは、医師や看護師、ケアマネジャー、介護職、ソーシャルワーカーなど、台東区の医療・介護に携わる多職種の仲間が集まり、学び合い、意見を交わす勉強・交流会を定期的に開催しています。
実を言うと、最初から塾長をやろうと思っていたわけではなく、「副塾長であればお手伝いします」と伝えていましたが、地域の仲間たちの強い熱意に背中を押される形で塾長を引き受けることになり、「台東区にとって本当に意味のある会に育てたい」という一心で活動を続けてきました。
医療や介護の現場では、どうしても職種ごとの立場や役割の違いから見えない壁が生まれがちですが、台東医介塾ではあえて形式ばった会議の場ではなく、お酒を酌み交わしながらリラックスした雰囲気で本音を語り合う場を大切にしています。
そうした時間を重ねることで、肩書きではなく「顔が見える関係」を築くことを目指してきました。
私は、このような交流を通じて、互いの心の垣根がなく話ができるようになることが、結果として質の高い在宅医療につながり、より良い仕事ができる地域づくりにつながると信じています。

— 山谷の地域住民へのメッセージをお願いします。
健康に不安を抱えながら、「どこに相談すればいいのかわからない」「病院に行けないときはどうすればいいのだろう」と一人で悩みを抱え込んでいる方がいらっしゃったら、あさひ在宅クリニックを頼ってください。
私たちは、たとえ他の医療機関で断られた経験があったとしても、それを理由に患者さんを見放すことはありません。
住み慣れた山谷の街で、その人らしい暮らしを最期まで続けていけるよう、地域に根ざした在宅医として全力で支え続けますので、どうかためらわずに声をかけていただきたいと思っています。
あさひ在宅クリニック

対応可能な処置・検査について
処置
・点滴・注射
・在宅中心静脈栄養の管理
・在宅酸素療法
・気管切開カニューレの交換、管理
・膀胱処置カテーテルの交換、管理
・人工肛門の管理
・麻薬を用いた疼痛緩和ケア
・関節注射(各種ブロック注射)
・胃瘻・経鼻経管栄養の管理
・在宅人工呼吸器の管理
・膀胱瘻の管理
・腹水穿刺
・褥瘡処置
・外傷処置 など
※状況によっては対応が難しい場合もございます。まずはご相談ください。
検査
・血液検査
・尿検査
・細菌培養検査
・心電図(12誘導)・ホルター心電図(24時間)
・エコー検査
・骨密度測定装置
・点滴・注射
・在宅中心静脈栄養の管理
・在宅酸素療法
・気管切開カニューレの交換、管理
・膀胱処置カテーテルの交換、管理
・人工肛門の管理
・麻薬を用いた疼痛緩和ケア
・関節注射(各種ブロック注射)
・胃瘻・経鼻経管栄養の管理
・在宅人工呼吸器の管理
・膀胱瘻の管理
・腹水穿刺
・褥瘡処置
・外傷処置 など
※状況によっては対応が難しい場合もございます。まずはご相談ください。
検査
・血液検査
・尿検査
・細菌培養検査
・心電図(12誘導)・ホルター心電図(24時間)
・エコー検査
・骨密度測定装置
診療料金について
訪問診療は保険診療です。各種医療保険が適用となります。医療保険の自己負担分が費用としてかかります。
お薬の費用、緊急の往診などは別途費用が発生いたします。交通費は一切いただきませんのでご安心ください。
お薬の費用、緊急の往診などは別途費用が発生いたします。交通費は一切いただきませんのでご安心ください。
訪問エリア
台東区を中心に
荒川区・墨田区・足立区
江東区・葛飾区・文京区
中央区・千代田区・江戸川区など
※どうぞお気軽にご相談ください。
荒川区・墨田区・足立区
江東区・葛飾区・文京区
中央区・千代田区・江戸川区など
※どうぞお気軽にご相談ください。
お問い合わせ
あさひ在宅クリニック
〒111-0022 東京都台東区清川1丁目35-8
TEL:03-5808-7935/FAX:03-5808-7936
MAIL:asahizaitaku.clinic@gmail.com
WEB:https://www.asahi-zaitaku-clinic.com/contact/
〒111-0022 東京都台東区清川1丁目35-8
TEL:03-5808-7935/FAX:03-5808-7936
MAIL:asahizaitaku.clinic@gmail.com
WEB:https://www.asahi-zaitaku-clinic.com/contact/
川﨑英司院長のプロフィール

経歴:
2012年 神奈川県立足柄上病院 初期臨床研修医
2014年 横浜市立みなと赤十字病院 泌尿器科
2014-2017年 神奈川県保健福祉事務所保険予防課 兼務
2017年 済生会横浜市東部病院 泌尿器科
2018年 真鶴町国保診療所
2020年 米国オレゴン健康科学大学家庭医療学講座
2021年 つばさクリニック
2022年 あさひ在宅クリニック開院
現在に至る
2014年 横浜市立みなと赤十字病院 泌尿器科
2014-2017年 神奈川県保健福祉事務所保険予防課 兼務
2017年 済生会横浜市東部病院 泌尿器科
2018年 真鶴町国保診療所
2020年 米国オレゴン健康科学大学家庭医療学講座
2021年 つばさクリニック
2022年 あさひ在宅クリニック開院
現在に至る
資格・学会:
日本泌尿器科学会認定泌尿器科専門医
認知症サポート医
難病指定医
厚生労働省緩和ケア研修会修了
浅草医師会会員
一般社団法人 台東区シニアサポート協会 理事
認知症サポート医
難病指定医
厚生労働省緩和ケア研修会修了
浅草医師会会員
一般社団法人 台東区シニアサポート協会 理事
在宅医療とは?利用できる人・内容・始め方をわかりやすく解説
Q1. 在宅医療とはどのような医療サービスですか?
A. 在宅医療とは、通院が困難な方の自宅や施設に医師が訪問し、診察・治療・薬の調整・療養相談などを行う医療サービスです。病気を診るだけでなく、生活背景や家族状況も含めて支えることが特徴で、住み慣れた場所で安心して療養を続けることができます。
Q2. 在宅医療は高齢者以外でも利用できますか?
A. はい、年齢に関係なく利用できます。高齢者だけでなく、精神疾患を抱える方、慢性疾患のある方、社会的に孤立しがちな方など、通院が難しい事情がある場合に在宅医療は有効です。患者さん一人ひとりの状況に応じた支援が行われます。
Q3. 精神科の診療も在宅医療で受けられますか?
A. 医療機関によっては、在宅で精神科診療に対応しています。通院が難しい方や、外出に不安がある方にとって、在宅での精神科診療は治療継続の大きな支えになります。身体疾患とあわせて、心のケアを行うことも可能です。
Q4. 在宅医療ではどこまで対応してもらえるのでしょうか?
A. 定期的な診察、薬の管理、慢性疾患の治療、精神的な不調への対応、必要に応じた緊急対応や多職種連携まで幅広く対応します。病状だけでなく、生活上の困りごとや不安についても相談できるのが在宅医療の強みです。
Q5. 在宅医療を始めるにはどうすればよいですか?
A. まずは、在宅医療を行っている医療機関に相談することが第一歩です。本人や家族から直接問い合わせるほか、病院の医療相談室、ケアマネジャー、地域包括支援センターを通じて紹介してもらうことも可能です。

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