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ゆるり家 オステオパシー整体院:世田谷区・大田区・港区を中心に展開する訪問整体サービス 最終更新日:2025/06/22

ゆるり家 オステオパシー整体院:世田谷区を中心に展開する訪問整体サービス
個別性や多様性が重視される昨今、在宅医療現場でもさまざまなニーズに対応した訪問自費サービスが注目されてきています。
今回は東京都世田谷区・大田区・港区を中心に訪問整体サービス「ゆるり家 オステオパシー整体院」を運営されている寺本伊公子代表です。これまでの歩み、訪問整体サービス、そして今後の介護・福祉サービスに向ける思いを熱く語っていただきました。
寺本代表のルーツ
— ご出身の島根県ではどのように過ごされましたか?
出身は島根県松江市で、合併前の美保関町で育ちました。父は本当に自然を読むのが上手な人で、風向きや潮目を読む力がずば抜けていました。網元からの指名で漁師になり、漁猟長をしていた腕前だったんです。私はその読む力を人体で開花させたのかなと思っています。
小さい頃は理数系の科目が好きで、特に自然科学には強い興味がありました。将来は研究者になりたいという夢も抱いていたのですが、どうしても血を見るのが苦手で、医学の道は諦めました。それでも、数学や物理の研究者になれたらいいなと思っていたのですが、両親からは地元の島根県立女子短期大学しか受験させてもらえなかったんです。国立大学の受験は許されませんでした。
1981年に島根県立女子短期大学保育科に進学したのですが、実は短大時代はカヌーばかりしていて(笑)。保育の仕事に就くのは少し心配だったんです。当時は就職難で、銀行や公務員になるのも難しかったという時代背景がありました。私は、運よく岡山大学の歯学部が開設される年で、事務官として採用されました。
でも、そこでの仕事は教室担当だったので実験器具を洗ったりするのは面白かったのですがそれ以外は単調で…。論文は英語で読めず、ちょうどヒスタミンがリリースされた時で、その内容が分かればもっと面白いのになと思っていました。ただ、タイプライターを打つのが本当に苦手で…(笑)。
— その後、島根に戻られたきっかけがあったそうですね。
はい。母の体が弱かったのですが、それまで一家を支えてくれていた祖母が倒れてしまい、実家に帰ることになりました。事務官の仕事は1年で退職することになり、1984年から実家近くの保育園に勤務しました。
久しぶりに子供たちと触れ合って、やっぱり子供は楽しいなと改めて感じました。ここも結婚退職になり1年だけでしたが、充実した時間でした。
— 大学時代から始めたカヌーのエピソードを教えてください。
実は国立大学を受験させてもらえなかったこともあり、短大入学当初は少しやさぐれていた時期で(笑)、何か楽しいことをやろうと思ってカヌー部に入ったんです。軽い気持ちでキャンプに行ったら、なぜか大会に出ることになり、そこで国体の選手にスカウトされました。何かしたいと思っていた私は、二つ返事でOKしました。
1年目はひたすら基礎体力づくりに励み、2年目には島根国体(1982年)で優勝することができました。女子のカヌー人口が少なかったこともあり、実力以上の結果が出せたのかもしれません(笑)。でも、あの時の達成感は今でも忘れられません。本当に良い経験をさせていただきました。短大卒業後もカヌーは続けて、短大含めて丸5年間は現役で大会にも出ていました。
— 当時の練習は、相当厳しかったのではないでしょうか?
そうですね。今思えば、鬱になる寸前だったかもしれません。常に「もっと速く、もっと強く」と自分を追い込み、できないことばかりに目を向けていました。周りの選手がどんどん結果を出していく中で、自分だけが取り残されているような焦燥感に駆られていました。
でもある時、カヌーの大会で3位になった際、コーチから本当に厳しい言葉をかけられたんです。「お前は、本気で何かに取り組んだことがあるのか? 気合だけのやつはいらないんだ」と。その言葉が、私の心に深く突き刺さりました。それまで、勉強にしても何にしても、どこか中途半端だった自分に気づかされ、そこから初めて、「本気でやる」ということを学んだ気がします。
— 香川県に移住して子育てに専念されたそうですね?
結婚して3人の子供を授かり、1992年に夫の実家のある香川県満濃町(現まんのう町)に引っ越しました。そこから18年間、香川で子育てに専念しました。
子供たちの体の発達が、どんどん自然な発達の流れから外れていくことに気づいたんです。この頃から、田舎でもファーストフード店などができて、子供たちのアレルギーが増えたり、落ち着きのない子が増えたりして、大丈夫かなと心配になりました。特に私は小さい子供が好きで、そういう子たちと接することが多かったので、アレルギーなどの問題には敏感でした。
私自身、3人目の子がアレルギーを持っていたので、食事にはすごく気を遣っていました。だから、ファーストフードなどは子供たちには食べさせませんでした。周りの方との価値観の違いを感じながらの生活でしたが、自然豊かな環境の中で、体に良いものを食べるようにしていました。
整体との出会い
— その気づきの中で、整体を学び始められたのですね。
はい。子育てと家事に追われる中で、私も体はボロボロでした。農繁期は農家特有の作業、日々持ち帰り残業も多く、7人家族の食事の準備など、毎日が本当に過酷で…。精神的にも疲弊し、それが体の不調として現れるようになったんです。もともと腰痛はあったのですが、38歳で50肩になり、肘や膝まで痛み出して、寝返りも打てないほどでした。そんな時、たまたま2007年に、オステオパシーを勉強している方と出会ったんです。藁にもすがる思いで施術を受けたところ、長年の痛みが嘘のように消え、ぐっすり眠れるようになったんです。その時の感動が忘れられず、「私もこんな風に人の役に立ちたい」と強く思うようになりました。
— オステオパシーとは具体的にどのようなものなのでしょうか?
オステオパシーは、単なるマッサージや骨格矯正とは異なり、体の構造(骨格、筋肉、内臓、神経など)と機能が密接に関連していると考え、全身のバランスを整えることで、人間が本来持っている自然治癒力を最大限に引き出すことを目的とした手技療法です。体全体のエネルギーの流れやバランスを重視する点で東洋医学と共通しています。
私の場合は、長年の体の不調を通して、骨格の歪みだけでなく、内臓の不調も痛みの原因になり得ることを実感しましたので、内臓の調整も重視した施術を行っています。事故や怪我による痛みにはまた違ったアプローチが必要になりますが、原因がはっきりしない慢性的な痛みや不調には、まず内臓からアプローチし、その上で骨格の歪みを整えていくことが多いですね。
— オステオパシーの習得には、相当な時間と労力を費やされたのですね。
はい。オステオパシーの講習会を受けるために、毎週のように神戸に通っていました。それを7年間続けました。2008年には、講習会仲間と2人で一緒に毎週勉強会をしていました。途中から1人増えて、3人で夜8時から深夜2時まで、週に1、2回集まっていましたね。講習会に通い始めて3年くらいで、少しずつお客さんを取るようになりましたが、レベルアップのために7年間しっかりと学びました。ただ体を楽にするだけでなく、体全体の状態を変化させるという領域まで行きたいと考えていました。
後半になると、様々な勉強会・リスタディーグループができ、オンラインでも学びの場ができました。私も積極的に参加しました。最初に一緒に勉強会をしていた仲間とは、それぞれの家庭環境の変化や私の介護が始まったこともあり、最後は月に一度の集まりになっていましたが、今でも大切な仲間です。
「ゆるり家」開業
— 開業時の思いをお聞かせください。
はい。保育の現場で、子供たちの健やかな成長を願う私にとって、どうしても納得できない指導が入るようになったんです。「これでは子供たちは良くならない。保育園の外からアプローチした方が、本当に子供たちの為になるのではないか」と考えるようになりました。食に対する考え方も全く違っていましたしね。
教育長と意見が衝突したり、地域の牛乳屋さんに「1歳児に毎日乳酸菌飲料飲ませるんじゃないよ!」と直訴したり(笑)。毎日飲んでいたのを週1回に減らしたりもしましたが、もちろん、すぐに改善されるわけではありませんでしたが、現状をただ受け入れるのではなく、より良い方向へ変えていきたいという思いは常に持っていました。そんな思いが募り、2010年に思い切って保育園を退職し、「ゆるり家」を開業しました。
— 「ゆるり家」という名前には、どのような思いが込められているのですか?
「ゆったりしてほしい」という願いを込めました。皆さん、時間に追われてセカセカしていらっしゃるように感じていたので。その当時は、3人の子育てと7人家族の世話で、私も15分、30分刻みで慌ただしく動いていたからこそ、そう思いました。私のところに来てくださった方には、もう寝てくださってもいいですし、愚痴をこぼしてくださってもいいですよと。
体の不調の背景にある、なかなか言えない思いを吐き出すことも、時には必要ですから。言えないでいると、なかなか体も変わらないんです。心と体、そして精神は三位一体ですから、まずはゆったりとした気持ちになっていただきたいと思っています。
おかげさまで、反響がよく順調なスタートを切ることができました。2年目、3年目には本当に施術の効果を実感していただくことができ、最初は知り合いから始まったのですが、口コミで徐々に広がっていきました。きっと、地域にニーズがあったのでしょうね。
— どのようなお悩みをお持ちの方が多いのでしょうか?
最初は、私自身が長年腰痛に悩んでいたこともあり、「腰痛専門」のような感じで始めたんです。そうしたら、腰の痛みを抱えた妊婦さんから相談を受けることもありました。10年同棲しているけれどなかなか妊娠しない、近々入籍するけれど子供ができなかったらどうしようと悩んでいらっしゃいました。開業して3年目ぐらいのことでした。
色々お話を聞いていると、旦那様が深酒をされるとのことだったので、「まずはお酒をやめさせてみてください」とお伝えしました。そうしたら、なんと次の月に妊娠したと報告があったんです!
そのことがきっかけで、口コミがさらに広がり、「妊娠ブーム」が来たんです。その後は、産後ケアや赤ちゃんに関する相談も増え、「産後ケア・赤ちゃんブーム」が到来しました。香川県内だけでなく、隣県や、なんと都内からも来てくださる方もいらっしゃいました。
— 2015年からはオステオパシーをスタディーグループで学ばれたとのことですが。
はい。7年間通っていたJOPA(日本オステオパシープロフェッショナル協会)から、講師をされていた先生が独立される際に、私も一緒に移りました。都内に出る2020年までの6年間、その先生のもとで、より深くオステオパシーの感覚や理論を実践的に学び続けました。JOPAとスタディーグループの間に「アレルセラピー(言わかりやすく言い換えると言霊療法)」も学びました。
スタディーグループでは、より繊細な感覚を使い、体の深い部分にある動きやリズムを感じ取りながら施術していくという特徴があります。より根本的な原因にアプローチしていくことができると感じています。
60歳で挑む東京。コロナ禍での苦闘と、訪問サービスへの新たなる決意
— 東京進出について詳しくお聞かせください。
はい。東京に出てきたのは、実はコロナ禍の2020年でした。まだ香川にもお客様がいらっしゃったのですが、「今このタイミングを逃したら、絶対に香川から離れられない」と思い切って上京しました。それまでも、2010年頃から香川と東京を行ったり来たりしていたのですが、ずっと「田んぼはしたくないな」と思っていて(笑)。体力仕事ですし、子供たちも大きくなっていましたし、車の運転もあまりしたくなかったので、色々と考えて東京進出を決意しました。様々な整理を経て、正式に東京を拠点としたのは、私が60歳になった2023年です。長男と次男が埼玉県に住んでいるということも大きかったですね。
香川のお客様は、信頼できる近くのオステオパシー仲間に託しました。東京にも以前からのお客様がいらっしゃったので、東京での集客も見込めるかなと思っていました。
東京には本当に様々な療法があって、香川にいた頃の知識や技術だけでは、どうにもできない方々もいらっしゃることを痛感しました。そういう方々を少しでも助けたいと思って、色々なものに手を出してしまった時期がありました。でも、色々なことをやっていると、特化した施術をされている方からは、あまり良く思われないこともありました。私は妊産婦さんのケアにも力を入れたいと思っていたのですが、「センシティブだから難しい」と言われたりもしました。異業種交流会では妊活サポーターとして活動していたのですが、妊活で本当に苦しんでいる方が多いことを改めて感じました。
— コロナ禍での東京進出は、経営的にも大変だったのではないでしょうか?
コロナ禍の影響で、経営状態はしばらく思わしくなく、借金もしました。コロナワクチンのことなど、私は自分の意見をはっきりと言う方なので、自分の考えと相手が望んでいることとの間にズレが生じることも多々ありました。「真実はこうである」と思っていても、人それぞれの捉え方がありますよね。そのズレに気づき始めたのは、本当にここ最近のことです。
経営状況は少しずつ回復してきています。以前は「何かを飲み込まなくてはいけない」と思って、無理に飲み込もうとしていたのですが、「別に飲み込まなくてもいいのかな」と思うようになりました。大声で主張する必要はないけれど、無理に飲み込む必要もない、と。そう気づいたら、肩の力が抜け、そうすると主義主張も変わってくるし、人との出会いも変わってきたように感じます。
— 新しく訪問サービスを始めたとお聞きしました。
保育園を辞めたのが2010年ですが、その4、5年前から同居していた義母の様子があまり良くなかったんです。台所に行くと包丁がなくなっていることが何度もあって。何本もあったのに1本もない。それが、私が保育園を辞めるきっかけの一つにもなりました。私が開業に向けて準備を進めていたタイミングと、義母の認知症の進行のタイミングが重なり、必然的に保育の仕事を辞めることになったんです。ですから、介護の辛さは痛いほどよく分かります。特に認知症の方の場合、本人は穏やかに過ごしていても、周りのご家族は本当に大変な思いをされていることも理解しています。
また、義母の介護をしている間に、義父が癌になり、77歳で亡くなりました。義父は48歳の時から高血圧で色々な薬を飲んでいたので、ある意味長生きだったのかもしれません。その経験から、食事療法がいかに大切かということを学びました。どうやったら手間をかけず栄養のあるご飯を作れるかといった工夫もアドバイスできると思います。介護をしていると、なかなか自分の時間が取れず、出かけることも難しくなりますよね。ですから、ご家族を含めたサービスを提供していきたいと考えています。介護で犠牲になりがちなご家族もサポートしたい、というのが私の願いです。
— ご家族を対象にしたサービスという事でしょうか?
そうです。これまで「ゆるり家」に来院していただかなければ受けられなかった施術を、ご自宅でも受けていただけるように始めました。訪問施術の内容は、基本的には整体院で行っているオステオパシーの施術と同じです。腰痛や関節の痛み、体の歪みなど、様々な不調に対応できます。
しかし、私が特に力を入れたいのは、在宅で療養されているご本人だけでなく、そのご本人を懸命に支えているご家族へのケアなんです。話を聞くこと、触れること、そして心を通わせることで、少しでも気持ちが楽になっていただけたらと思っています。
訪問エリアは、交通の便を考慮して、できれば東京23区内が良いと考えています。料金は、出張費込みで1時間半1万3200円、少し遠方の場合は1万5000円とさせていただいています。最近は交通費も上がってきていますので。
— 延べ施術人数1万5千人と多くの方を治されてきたんですね。
開業してから15年になりますので、その累計です。コロナ禍の時期は少し減りましたが、だいぶ戻ってきました。香川にいた頃は、子供の施術は無料で行っていたので、それを含めるともっと多くなります。子供連れのお母さんのグループが来たりしていました。多い時は1日に9人施術することもありました。子供は施術時間も比較的短いので施術できました。
— 外部への情報発信はどのようにされていますか?
ホームページは、連絡用として「こんな人がいるよ」という程度の情報しか載せていなかったので、東京に来てからの外部への発信には苦労しています。オステオパシーを具体的に説明するのが難しくて。医療知識はあっても国家資格を持っていないので、どうしても説得力に欠けると感じてしまい、過去に何度か説明用の作成依頼をしたことがあったんですけど、出来上がったものに納得感がなくて、発信をためらってしまっています。
ただ、私は西洋医学との並行も良いと考えていて、薬を減らしていけるような体の状態を目指す、という考え方です。コロナ禍以降、お家での医療というが、医療という言葉を国家資格を持っていなくても使って大丈夫な時代になってきたのかなと感じています。なので、医療という言葉を出すことで正しく認知してもらえるなら、もっと積極的に情報発信をしていきたいと思っています。
「ゆるり家」寺本佳代代表の未来へのまなざし
— 寺本さんが感じている「訪問介護サービス」の課題や悩みについて教えてください。
訪問介護サービスの課題として強く感じるのは、当事者である要介護者の方々が、なかなか自分の気持ちを言葉にできないということです。そして、ご家族も、何をどこに相談すれば良いのか分からず、一人で悩んでいらっしゃるケースが多いのではないでしょうか。
先日、実際にあったお電話でのご相談なのですが、「本人は病院から退院したいと言っているのに、病院の先生が許してくれない」と。この現状こそが、一番の問題だと感じています。介護する側は、いつか医療知識や人の体の知識を身につける必要に迫られますが、今の日本では、そうした知識を学ぶ機会がほとんどありません。ドクターでさえ、人の力を信じる「恒常性」というものを学ばない時代になってしまった。そこから乖離してしまっていることのこが、根本的な問題だと感じています。
— 寺本さんが目指している「訪問介護サービス」についてお話しください。
私は、関わる全ての方が、もっと楽に、そして穏やかに過ごせるようなサービスを提供したいと思っています。「ゆっくりね、楽しんでね」と声をかけられるような、そんな温かい介護を目指したいのです。
介護は決して楽なことではありませんが、私の場合は、認知症の義母が穏やかに一日を過ごせた日には、私は心から褒めてあげています。すると、義母は褒められたことをちゃんと覚えていて、次の日も同じように穏やかに過ごそうとしてくれる。大変な介護の中にだって、笑いに変えられる瞬間があるんです。「こういうこともできるんだな」と、私自身も日々発見があります。
— 最後に地域住民の方へメッセージをお願いします。
東京23区にお住まいの皆様、それぞれ色々な考えをお持ちだと思いますが、どうかご自身の体を信じてください。私たちの身体も、自然の一部です。信じられないから、私たちは薬を飲んでしまうのではないでしょうか。自分の感覚を信じていないから、疲れているのに無理をしてしまうのではないでしょうか。そして、疲れていることにすら気づかなくなってしまう。どうか、ご自身の体の声に耳を傾け、疲れていることにちゃんと気づける体を作っていきましょう。

ゆるり家 オステオパシー整体院
〒221-0804 神奈川県横浜市神奈川区栗田谷40-2
TEL:090-5276-3057
寺本伊公子代表のプロフィール
経歴:
1981年 島根県立松江北校卒
1983年 島根県立女子短大卒 保育士、幼稚園教諭取得
1983年 岡山大学文部事務官
1984年 こばと保育園(島根)
1986年 長女出産
1989年 長男出産
1991年 次男出産
1992年 まんのう町職員 保育所、幼稚園勤務
2007年 Jopaセミナー参加、メカニカルリンク、体表解剖など学ぶ
2010年 まんのう町職退職
2010年 ゆるり家開業(香川県)
2015年 フルクラムオステオパシー、西山先生中心スタディーグループで感覚、理論を実践的に学ぶ
2022年 関東で施術を開始
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