川崎恭兵理事長インタビュー|ぬちぐすい診療所が石垣島・八重山諸島で取り組む訪問診療と地域医療 最終更新日:2026/07/09

沖縄県石垣市にあるぬちぐすい診療所は、八重山諸島・石垣島の地域医療を支える診療所として、訪問診療、認知症相談、小児科外来などに取り組んでいます。理事長を務める川崎恭兵先生は、かつてプロ野球選手を目指した経験を持ち、挫折を経て医師の道へ進みました。その後、外科医として「自分の手で命を救う」医療に向き合い、石垣島での経験を通じて地域に根ざした医療の大切さを実感します。川崎恭兵理事長の歩みと、ぬちぐすい診療所に込めた想い、そして離島医療・訪問診療への取り組みを紹介します。
プロ野球選手の夢と挫折から医師へ|川﨑恭兵理事長が歩んだ挑戦の原点
— 東京都練馬区のお生まれとのことですが、幼少期から医師を目指されていたのですか。
いえ、元々はプロ野球選手になりたくて、野球で生計を立てることを真剣に目指していました。慶應義塾大学から読売ジャイアンツに入団した高橋由伸さんに強く憧れて、「自分も慶應で野球がしたい」と猛勉強し、私も憧れの選手と同じ大学の付属高校に合格することができたんです。大学に入ってからは、観客が5万人も埋まるあの伝統の早慶戦の舞台に立ちたい一心で練習に励んでいました。

— そこからどのような経緯で、医師という全く別の道を志すことになったのでしょうか。
大学野球のレベルは想像以上に高く、周囲との圧倒的な差を痛感しました。それでも必死に食らいついたのですが思うように付いていけず、肩を脱臼するなど度重なる怪我で身体が壊れてしまったんです。野球人としてはもうボロボロの状態でした。
そんな私を救ってくれたのが、チームのトレーナーでした。私が怪我をして「もう選手としては辞める」と分かっていながらも、「お前が一番努力しているから」と親身にケアを続けてくれて。ベストパフォーマンスを出せる状態ではなかったのですが、トレーナーがテーピングやマッサージをしてくれたおかげで、最後は憧れの早慶戦に出場することができたんです。
プロという結果こそ得られませんでしたが、周囲の協力のおかげで、結果として野球人としての人生を納得して終えられたという感覚を持つことができましたね。

— 野球に区切りをつけたあと、ご自身の進路についてはどのように考えられたのですか。
当時の慶応大学野球部の4年生といえば、就職先から引っ張りだこの状態でした。厳しい環境にも耐えられますし、マルチタスクにも適応できますから。ただ僕は、一般企業に就職するのではなく「人の役に立って、直接『ありがとう』と言われる仕事がしたい」と思い、そこから医師を志しました。
実は、私の祖父、おじ、父、弟、従弟が全員、柔道整復師をやっているんです。そのため、最初は私も柔道整復師になって、六大学野球で培った知識や経験を活かしながら、地域や子どもたちの治療やパフォーマンス向上に携われたらいいなと考えていました。そんな折に、父から整形外科で開業して一緒にやっていけたらという提案があり、それなら一度医師を目指して本格的に頑張ってみようと決意したんです。

— そこから医学部再受験に挑まれたのですね。スポーツから医療の道にシフトチェンジしたことで、苦労されたことがたくさんあったのではないしょうか。
おっしゃるとおりです。大学時代は野球漬けでほとんど机に向かっていなかったので、受験勉強をスタートした時の偏差値は合格目標には程遠いものだったんです。
ただ、ここで野球部の経験がすごく生きてきました。「目標を設定し、そこから逆算して、今日やること、この1時間でやることを自分で明確にプランニングする力」ですね。この方法を勉強に応用した結果、1年間で学力が一気に上がり、杏林大学の医学部に合格することができました。
医学部での6年間は、人生で初めて学ぶ楽しさを知った本当に充実した時間でした。国家試験合格のその先を見据えて、1年生の基礎分野から全力で勉強しましたし、実は部活も野球ではなくラグビー部に入って心身を鍛え直したんです。当時はもう、将来は間違いなく「整形外科医になるんだ」という確固たる思いで進んでいましたね。

「自分の手で命を救う」沖縄・石垣島で選んだ外科医への道
— 大学卒業後は、どのようなキャリアをスタートさせたのでしょうか。
研修先として選んだのは当初の目標であった整形外科ではなく、沖縄県立中部病院の内科コースでした。 将来、自分の専門科以外の疾患も総合的に診察できるようになると考えたからです。医師として、目の前で患者さんが倒れている時に、専門外なので診れませんとは言いたくないと強く思っており、まずは全身をしっかり診られる基礎を叩き込みたいと思い、あえて厳しい環境に飛び込みました。

— 東京から沖縄へ移られ、現場でのギャップはありましたか。
生活背景や文化が東京とは全く異なり、大きな衝撃を受けました。特に驚いたのは、医療に対する考えの違いです。首都圏のように定期的に検診を受けて予防するという習慣があまり定着しておらず、本当に体調が悪くなってから病院へ行くという感覚の患者さんが非常に多かったんです。
そのため、東京ではあまり見かけないような重症化した症例や、かなり進行した状態のがん患者さんが次々と運ばれてきました。 当時はそうした環境について深く考える余裕すらなく、目の前に絶え間なく並ぶ患者さんと必死に向き合い続ける毎日を過ごしていましたね。
— その後、石垣島の八重山病院へと赴任されたのですね。
はい。沖縄本島の中部病院で4年間過ごしたあと、後期研修のタイミングで県立八重山病院に赴任しました。 この後期研修に入る段階で、「患者さんの命にしっかり関わり、自分の手で直接人を助けられる科に行こう」と自分の中で新たな意思が芽生え、整形外科ではなく、がん治療などを扱う一般外科へと進むことになりました。
そこからの2年間は、本当に「頭から足の先まで」全科に関わりました。離島の一般外科医ですから、専門分野だけを診ていればいいわけではありません。病院で行われる全手術に入るくらいの勢いで、あらゆる疾患に向き合いました。 目の前の命を自分の手で繋ぐという外科医としてのベース、そして総合的に全身を診る力は、間違いなくこの石垣島での2年間で鍛え上げられたと感じています。

医師としての根幹をくれた石垣島へ|ぬちぐすい診療所開設に込めた八重山諸島への恩返し
— 八重山病院で外科医として勤務される中、ご自身で診療所を立ち上げる決定的なきっかけになったのは何だったのでしょうか。
最大のきっかけは、新型コロナウイルスの感染拡大でした。 当時、私は八重山病院で主にがん患者さんの手術や化学療法、そして人生の最終段階における終末期ケアを担当していました。その中で、私個人として患者さんのご自宅を訪問し、在宅ケアを行っていたんです。
自分の手術を担当した主治医が直接家まで来てくれるということで、ご家族からは「先生が家に来てくれた!」と大変喜んでいただけました。まるで家族の一員のように温かく受け入れてくださり、医師として非常に大きなやりがいを感じていた日々でした。
— そこからコロナ禍となり、現場の状況はどのように変わってしまったのですか。
感染拡大に伴い、訪問看護の方々でもがんの終末期患者さんをご自宅で診ることが困難になってしまいました。私たち病院の医師も、患者さんのご自宅へ足を運んでケアを行うことが制限され、患者さんは病院へ「入院せざるを得ない」状況に追い込まれてしまったんです。
そして当時、病院は厳格な面会謝絶になりました。人生の最期の瞬間を迎える患者さんが、最愛のご家族に「愛している」「今までありがとう」と直接伝えることすら叶わず、私たち医療者が看取る。それは私にとって医療に関わってきた中で間違いなく最悪の状況でした。
その悲惨な状況に強く胸を痛め、病院側に掛け合って患者さんをご自宅へ送り届け、私自身が身を削ってでも隙間を埋めればいいと考え、病院勤務と訪問診療を必死に掛け持つ生活を送りました。

— 過酷な状況下で自ら患者さんのご自宅へ足を運ばれた経験は、先生のキャリアや診療所の設立にどのように繋がっていったのでしょうか。
大変な状況の中でも、日々の診療を通じて、「患者さんの真の救い方」が見えてきた感覚があったんです。それと同時に、一般外科としてあらゆる疾患に向き合う中で、自分自身の手術技術にも確かな手応えを感じ始めていました。
そしてその経験が、一度は諦めかけていた自身の腕で患者さんに20年、30年の余命を与える心臓血管外科医という夢に再び勝負したいという決意につながっていったんです。
しかし、いざ島を離れるラスト1年となった時、「自分が手術して治した患者さんを、これから誰が継続して診てくれるんだろう」という強い心残りが生まれました。もしこの島に、責任を持って最後まで在宅で診てくれるチームがあれば、私の心に引っかかっていたものをしっかりと託して前に進める。そう考え、診療所の開設に向けて動き出したんです。

— そこに、現在の仲間である今村先生や奥様の想いが合致したのですね。
その通りです。島で長年医療に尽力されてきた今村先生が、ご年齢とともに第一線を退かれつつも抱いていた「住み慣れた自宅でその人らしく過ごしてもらいたい」という情熱。そして、経営のプロである私の妻が持っていた「医療を通じてこの土地に社会貢献したい」という強い意志。
私の心残り、今村先生の在宅にかける情熱、そして経営のプロという3つの想いが「三位一体」となって結実し、ぬちぐすい診療所の開設に至りました。

— 沖縄・石垣島という地域に対して、先生はどのような想いを抱かれていますか。
沖縄、そして石垣島は、私の「医師としての根幹」を作ってくれた特別な土地です。 医師1年目の頃なんて、正直なところまだ右も左も分かりませんでした。それなのに島の患者さんたちは「お医者さんだから」と私たちを信じ、大切な体を預けて診察させてくださったんです。未熟な私たちに「ありがとう」と感謝を伝え、成長させてくれました。
当時の患者さんたちの温かい寛容さや感謝の気持ちがあったからこそ、今の私の人間形成があると思っています。だからこそ、この島に対する恩返しの気持ちは、今も私の中に溢れているんです。

命を救う二刀流の挑戦|外科医と訪問診療で目指す「自分なりの日本一」
— 現在はぬちぐすい診療所だけでなく、東京の方でも医師としてのキャリアを広げられているそうですね
はい。現在は葛西昌医会病院で、心臓血管外科の執刀医として手術の最前線に立っています。それと同時に、ぬちぐすい診療所の運営法人である医療法人仁結会の理事長としての役割も全うしており、まさに「医療の二刀流」という日々を送っていますね。
離れた場所にいても、訪問診療のカルテはすべて私自身がしっかりと目を通し、詳細なレビューや指示出し、現場からの相談への対応を日々全力で行っています。また、実際に石垣島へ足を運んだ際には、地域連携のためのご挨拶にも自ら回っています。

— 心臓外科の最前線にいながら、離島の訪問診療を担い続ける理由は何なのでしょうか。
私が大きな病院の最前線で心臓血管外科医としてレベルアップし続けることで、世の中のアップデートや新しい知識・治療薬の使い方を、そのままぬちぐすい診療所の医療に還元できるからです。現場を支えてくださっている今村先生たちだけで補いきれない専門的なアップデートの部分は、私が全面的に担っていこうと考えています。
— 南国や離島における在宅医療の現場で、現在どのような課題を感じられていますか。
1つは文化の違いです。かつて私が沖縄に赴任した当初は、「自宅で看取る」という文化自体が島にほとんどありませんでした。そんな中、「最期は住み慣れた自宅で、愛する家族に手を握られながら『今までありがとう』と伝えて旅立つのがいいのではないか」という、死生観を患者さんやご家族に伝えて、地道な啓蒙活動を続けてきました。
そして今、ようやくその文化が石垣島に根付いてきたので、それだけでも取り組んできた意義はあるのかなと感じています。
もう1つは、健康に対する意識と医療体制の脆弱さです。南国特有の文化として、熱中症リスクが極めて高い室内なのに「クーラーをかけると体に悪い」という信念を強くお持ちの高齢者の方がいらっしゃるんです。そうした細々した生活習慣へのアプローチは今も課題となっていますね。
また、離島では、生活習慣病の悪化からくも膜下出血や大動脈解離が起きて、沖縄本島へのヘリ搬送中に間に合わず亡くなるケースもあります。だからこそ、普段の血圧や血糖コントロールの大切さを伝える予防的な啓蒙活動には、この島ですごくやる価値があると思っています。

— 逆に、南国・離島医療ならではの良いところはどんなところでしょうか。
良いところは、その「緩さ」や「大らかさ」ですね。 極端な話、「先生が来てくれたからもう大丈夫さ!」と言って、それだけで本当に元気になってしまうようなところがあるんです。
東京の医療現場では絶対に許されないような感覚かもしれませんが、その幸福感や安心感を提供できることこそ、ここの医者ならではの仕事だなと思います。

— 心が元気になることが、実際の体調にも良い影響を与える感覚があるのですね。
そうなんです。がん外科に携わってきた経験からも、私は「患者さん自身の心と免疫の状態が、病気の結果に大きく関わっている」と考えています。
例えば、人間の体は腸の粘膜をはじめ、細胞が日々絶え間なく入れ替わっているため、本来なら病変が生まれても不思議ではありません。それでも若いうちに病気が起きないのは、異常な細胞をやっつける免疫の仕組みがしっかりと働いているからなんです。
年齢とともにその免疫が少しずつ破綻していくことで病気が現れるのだとすれば、最終的には「毎日を気持ちよく、明るく楽しく過ごしていること」が、病魔に打ち勝つ大きな力になるのではないかと思っています。
よく「病は気から」と言いますが、まさに沖縄の温かい風土のように、元気に明るく、人生をキラキラさせて生きていくこと。その前向きな日々を手助けすることこそが、私たち医療者の大切な役目です。
患者さんの未来を見据えて日々の血圧や血糖値をコントロールし、訪れる最期のときを少しでも先に延ばしてあげる。そうした日常の暮らしに長く寄り添えることこそが、地域のクリニックだからこそ味わえる大きな喜びですね。

— 最後に、5年後のぬちぐすい診療所の展望と、先生ご自身の夢をお聞かせください。
現在、石垣島には複数の在宅医療の選択肢が生まれています。多くの医療者が潤沢にいることでできる標準的な医療がある一方で、うちの診療所の強みは「島にずっと腰を据えて、100歳になっても医者をやるんだ」という意思を持った今村先生をはじめ、城所先生や石垣島で40年近く医療を続けてこられたベテランの先生方が集まってくれている点にあります。
そんなぬちぐすい診療所という場所を、今後も島を熟知した先生方のセカンドキャリアとして気持ちよく社会貢献できる場にしていきたいと考えています。「ゆいまーる(助け合い)」の精神で、ずっと顔の見える温かい関係の中、「あそこの親しみやすい先生たちに診てもらって、今日も元気にやっていきたいな」と島全体から思っていただける診療所にしていきたいですね。
そして僕自身の夢は、「日本一の心臓外科医」になることです。 ただ、私の定義する日本一は、手術件数の多さや知名度ではありません。自分が手術を担当した患者さんからの「川﨑先生で本当に良かった」という回答率が100%である医者を目指したいんです。
チームの仲間たちからも「自分の家族の身体に何かあったら、絶対に川﨑先生に執刀してほしい」と心から信頼される存在でありたいですね。「自分の寿命を削ってでも、目の前の患者さんを絶対に諦めない」。
その強い意思で、自分なりの日本一の医師をこれからも貫いていきたいと思います。

ぬちぐすい診療所|石垣島で訪問診療・認知症相談・小児科外来を行う地域医療拠点

診療内容
在宅訪問診療(保険診療)
病院に通いにくい石垣島の方々が対象です
病院に通いにくい石垣島の方々が対象です
・医療機関の受診が困難な方を対象に、医師・看護師が定期的に訪問します。
・訪問診療継続中の方が体調を崩された時などご希望があれば24時間365日往診対応します。
・在宅訪問診療をご希望の方は、現在かかりつけの医療機関にご相談の上情報提供を依頼して事前に診療所にご相談ください。ケアマネージャーも相談に乗ってくれるはずです。
・訪問栄養指導も行います。他院かかりつけの患者さんへの訪問栄養指導も可能ですのでご相談ください。
内科外来(保険診療)
基本的には以前から診療を継続されて病状が安定している方々が対象です
基本的には以前から診療を継続されて病状が安定している方々が対象です
・在宅訪問診療を行っているため、外来は週に一回、水曜日のみの診療としています。
・急性疾患の診療はマンパワーや検査機器の点から対応しておりません。
・内科のほかに整形外科・泌尿器科など長らく通院し同じ服薬だけの方はあわせて対応可能です。
・年に1-2回の病院受診と合わせた二人主治医性の対応可能です。継続的な受診ご希望の方はご相談ください。
・CT/MRI/内視鏡などの精密検査が必要な場合は島内の病院に依頼しており、入院や高度の専門医療が必要な可能性がある場合は迅速に紹介しております。
認知症相談(認知症疾患医療センター)
認知症が気になる方、またそのご家族が対象です
認知症が気になる方、またそのご家族が対象です
・ご相談のみの方は無料で、看護師あるいは医師が対応します。
・高血圧・糖尿病などの内科疾患がある方はあわせて対応できます。
助産師外来(2026年8月スタート)
授乳中のお母さんが対象です
授乳中のお母さんが対象です
・授乳について不安なことを直接助産師に相談できます。乳房マッサージの希望も受け付けます。
・30分かけてお一人お一人とゆったり向き合います。
・保険適用外で料金は1回3,000円です。
小児科外来(保険診療)
中学生以下の小児の方が対象です
中学生以下の小児の方が対象です
・こどもの健やかな成長を見守る医療を行います。こどもの成長発達について気になることや、子育て相談なども受け付けております。
・30分かけてお一人お一人とゆったり向き合います。
・こども医療費受給資格者証をお持ちの方はご利用が可能です。
医療相談(自由診療)
高校生以上の大人の方が対象です
高校生以上の大人の方が対象です
・薬に頼らない医療、自然医療の視点を含む統合的な医療を行い対応いたします。
・保険適用外で料金は15分3,000円、30分5,000円です(診断書の発行などは別途費用がかかります)。
オンライン診療(自由診療)
島外の方(小児・大人)が対象です
島外の方(小児・大人)が対象です
・基本的には対面での外来診療を行っていますが、石垣島外にお住まいの方に限りオンラインで医療相談が可能です。
・保険適用外で料金は30分7,500円です(診断書の発行などは別途費用がかかります)。
お問い合わせ
ぬちぐすい診療所
〒907-0004 沖縄県石垣市登野城623-6
TEL:0980-87-7931/FAX:0980-87-7932
WEB:https://nuchigusui-cl.com/
SNS: ❏ Facebook ❏ Instagram
〒907-0004 沖縄県石垣市登野城623-6
TEL:0980-87-7931/FAX:0980-87-7932
WEB:https://nuchigusui-cl.com/
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川﨑恭兵理事長のプロフィール|石垣島・八重山諸島の地域医療に取り組む医師

経歴:
2004年3月 慶應義塾高校卒業
2004年4月 慶應義塾大学商学部入学
2008年3月 慶應義淑大学商学部卒業
2009年4月 杏林大学医学部入学
2015年3月 医師国家資格合格、杏林大学医学部卒業
2015年4月 沖縄県立中部病院入職(初期研修)
2017年4月 沖縄県立中部病院(外科後期研修)
2019年4月 沖縄県立八重山病院入職(一般外科)
2021年4月 イムス東京葛飾総合病院入職(心臓血管外科)
2022年4月 埼玉循環器呼吸器病センター入職(心臓外科)
2023年4月 葛西昌医会病院入職(心臓血管外科)
2026年4月 医療法人仁結会理事長就任
現在に至る
2004年4月 慶應義塾大学商学部入学
2008年3月 慶應義淑大学商学部卒業
2009年4月 杏林大学医学部入学
2015年3月 医師国家資格合格、杏林大学医学部卒業
2015年4月 沖縄県立中部病院入職(初期研修)
2017年4月 沖縄県立中部病院(外科後期研修)
2019年4月 沖縄県立八重山病院入職(一般外科)
2021年4月 イムス東京葛飾総合病院入職(心臓血管外科)
2022年4月 埼玉循環器呼吸器病センター入職(心臓外科)
2023年4月 葛西昌医会病院入職(心臓血管外科)
2026年4月 医療法人仁結会理事長就任
現在に至る
資格・学会:
外科専門医
臨床研修指導医
日本外科学会
日本胸部外科学会
日本心臓血管外科学会
日本血管外科学会
日本臨床外科学会
臨床研修指導医
日本外科学会
日本胸部外科学会
日本心臓血管外科学会
日本血管外科学会
日本臨床外科学会
離島医療とは?八重山諸島・石垣島の訪問診療・認知症・在宅療養のよくある質問

Q1. 離島医療とは何ですか?
A. 離島医療とは、本土や都市部から離れた島しょ地域で提供される医療のことです。医療機関や専門職の数が限られるなかで、住民の健康管理、急病時の対応、慢性疾患の治療、在宅医療、看取りまでを支える役割があります。離島では、病気だけでなく、交通手段、天候、家族構成、地域の支え合いなど、暮らし全体を踏まえた医療が求められます。
Q2. 離島医療では、どのような課題がありますか?
A. 離島医療の主な課題には、医師・看護師などの医療人材不足、専門医療へのアクセスの難しさ、救急搬送に時間がかかること、天候による船や飛行機の欠航、医療・介護資源の限界などがあります。特に高齢化が進む地域では、通院が難しい方を支える訪問診療や訪問看護、介護サービスとの連携が重要になります。
Q3. 離島で訪問診療を受けることはできますか?
A. 地域の医療体制によりますが、離島でも訪問診療を受けられる場合があります。訪問診療では、通院が難しい方に対して医師が定期的に自宅や施設を訪問し、体調管理、薬の調整、療養相談、緊急時の対応、看取り支援などを行います。離島では移動や天候の影響を受けやすいため、早めに医療機関や地域包括支援センター、ケアマネジャーへ相談することが大切です。
Q4. 離島で急病や急変が起きた場合はどうなりますか?
A. 離島で急病や急変が起きた場合は、地域の診療所や救急体制、消防、必要に応じて本島・本土の医療機関と連携して対応します。症状や地域の状況によっては、船、航空機、ドクターヘリなどによる搬送が検討されることもあります。ただし、天候や時間帯によって搬送に制約が生じる可能性があるため、持病のある方や在宅療養中の方は、緊急時の連絡先や対応方針を事前に確認しておくことが重要です。
Q5. 離島で安心して暮らし続けるために必要な医療・介護の備えは何ですか?
A. 離島で安心して暮らし続けるためには、日頃から相談できる医療機関を持ち、服薬管理、定期受診、訪問診療や訪問看護の利用、介護サービスの調整などを早めに行うことが大切です。また、急変時の搬送方針、家族や近隣住民との連絡体制、地域包括支援センターやケアマネジャーとの連携も重要です。医療・介護・行政・地域がつながることで、限られた資源のなかでも安心して暮らせる体制づくりにつながります。
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